59才から始める喫茶店

59才になって起業しようと考えてます。

地震について考える

私は阪神大震災の被災者である。当時看護学生だった私は、神戸市灘区の、関西では文化住宅と呼ばれる古い木造2階建てアパートの1階に住んでいた。地震の当時は寝ていて、突然の衝撃に起こされたが、関西では地震が起こらないという思い込みもあって、地震が起きたとはにわかには感じられなかった。建物が古いので自然崩壊したのだと思った。建物の柱は折れていて、2階部分が隣の家に寄りかかっていた。隣の家があったおかげで、1階部分は潰れることはなく、私はなんとか脱出することができた。オートバイに乗って周りを走ると、これは地震が起きたのだと実感できた。オートバイに乗って、名古屋の実家に帰って、1週間経ってから神戸に戻った。

名古屋に帰っている間に、知り合いから、なんで神戸にとどまって頑張らなかったのかと言われたが、実態を知らない人の無責任な言動だと思った。

神戸に帰ってからは、とりあえず看護学校の教科書だけ、まだ無事だった友人宅に引っ越しさせてもらった。それからは病院の集会室に寝泊まりし、配給の食事を食べ、まだお湯の出ない病院の病棟で、看護学生なりの看護に赴いた。

レベッカ・ソルニットという人の書いた本に「災害ユートピア」というものがある。大災害の後、人々はかえって理性的にふるまい、被災者同士で助け合い、一瞬ではあるが平等な社会が発生したことを記した本だが、確かに「北斗の拳」のような地獄絵図は起こらなかった。

私が思うに、災害とくに地震については、人間の自然に対する無力さを最も感じさせるものではないだろうか?人間が自然に対して謙虚になる機会でもある。できれば同じ人間同士謙虚になってほしいものだが、それが災害ユートピアなのかもしれない。

私は登山をするので、自然は怖いものだという思い込みがある。夏でも雨が降ったとき、雨具を着るタイミングを誤れば低体温症になる可能性もある(トムラウシ山の遭難事故がそうだった)。自然はその美しさで人を感動させてくれるが、人に対して牙をむくことがある。地震報道を見ながらそう考えた。

「災害ユートピア

https://www.amazon.co.jp/dp/4750510238

トムラウシ山遭難事故

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7%E5%B1%B1%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85